今日の悲劇

 

 

 

 


今日の午後、美容院へ行った。通い始めて約1年。担当の美容師さんとは偶然中学校での繋がりがあり、縁を感じたのと美容院そのものの雰囲気が好きという理由で通っている。


今日の予定はカットカラーと、梅雨が近づいているので部分的にストレートをかけてもらうこと。いつもどおりホットペッパーではなくて個人的にラインをして予約をとった。


ようやく慣れてきた美容院と美容師さんなので、気兼ねなく話せる。今日もいろんなことを一方的にしゃべるわたしの話を、美容師さんは相槌を打ったり笑ったりしながら聞いてくれていた。そうこうしているうちにカットが終わった。前髪は前より薄めで短くしてもらった。クセが出やすくなるけど、ストレートかけるから問題ない。


さて、ここから雲行きが怪しくなる。


カットが終わった美容師さんから「カラーはどんな感じにします?」と聞かれ、「ベージュ系で明るさは同じくらいでお願いします」と言った。


「じゃあカラー剤作ってくるからちょっと待っててね」


あれ?ストレートは?


カラーのあと?なわけないよね?


カラーのあとにストレートなんて、もしやったとしたらとんでもなく色落ちする。のでそれはないはず。とは思いつつも私はプロではないので真偽は分からない。もしかしたらカラー→ストレートの順番もありえるのかもしれない。

それなのに、「ストレートもお願いしたと思うんですけど」なんて言えない。だってもしかしたらカラーのあとかもしれないじゃん!もしそうならなんだコイツってなるじゃん!


なんて悶々としながら、結局何も言えないままカラーの工程が始まってしまった。


普通(?)ならカラーって塗り終えたら放置すると思うんだけど、私の担当の人は心配性らしくてずーっとぬりぬりしてる。(って本人が言っていた)

その間も募る私の不安を無視して時間は流れていく。


「もう良さそうだから流すね」と、美容師さん。シャンプーでカラー剤を流し終え、ドライヤーで乾かしてもらう。


そのとき美容師さんが言った。

 

「このあと予定ある?セットもする?」

 

私は知っている。これは終わりの合図だと。

セットしてからストレートかけるなんてさすがにそんなことはありえない。

薄々勘づいてはいたけど、ここで確信した。ああ、今日わたしがストレートもしたいって連絡したのはなかったことになっている。


一瞬放心状態になった私をちょっとだけ不思議そうに見ていた美容師さん。ドライヤーの音で聞こえなかったと思ったのか、「セットはどうする?」ともう一度聞いてきたので、「帰るだけなのでいいです」と言った。


わたしは諦めた。


だって、わたしは今日カットとカラーだけをしに来たと思われている。向こうの見落としだとはいえ、わたしへの施術時間はカットカラーの時間分しかない。今更ストレートの話を打ち明けたところで、このあとのお客さんの予定が押してしまうし、何よりカラーをしてしまっているのでどのみち今日はもうストレートはできないに違いない。いや、それより何より、そのことを指摘して謝られたくない。


最後に美容師さんは言った。

「もしあれだったらまたストレートとかかけてもよさそうだね!」って。

 

 


………ハイ。そうですね。考えときます。

 

 

 

笑顔で返しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を好きになるって難しい。でも自分のことを好きになりたいと思ってる時点で、自分のことを大事にはできてるんだよね。最後に自分を褒めたのっていつだろう。字が綺麗に書けたとき。仕事が速くこなせたとき。早起きできたとき。衝動買いを我慢したとき。些細なことでも思い返せばたくさんある。それでも自分を好きになれない理由ってなんだろうと真剣に考えてみた。他者承認欲求を満たすことでしか自己承認欲求が満たされないから。っていう答えっぽいものが出てきた。つまり、他者からの承認が自分を満たしてくれるということ。「字が綺麗に書けた!」ではなく、「上司に褒められた!」という承認が欲しいということ。あれ?でも、誰かに褒められたり認めてもらえたりしたことあるけど、「わたしはそんなふうに言われるような人間じゃないのに」って思ったことあるな。。。誰かに褒められても、誰かに認められても、その言葉を素直に受け取れないのは、自分が「誰かに責められるべき人間」だと思ってるからかな。「この人がいまわたしのこと責めてくれたら、わたしは自分で自分を慰めて守ってあげられるのに」と思ったことがある。つまり、その人は確実に悪いことをしたわたしを責めなかったので、わたしは自分で自分を責めた。ということ。でもそのとき思ったよね。あれ?わたし常に誰かに責められたいのかな。責められなきゃいけないと思ってるのかな。なんでだろ。自分が嫌いだから?いつからこんなふうになったんだろう。何がわたしをこんなふうにしたんだろう。思い返すと、多分あれだなって思うものがある。真面目に生きてきたのがこんなにも意味のないことってあるんだ、って思った。生まれ変わりでもしなきゃどうにもならないと思った。その人のどこが好きだったか聞かれると言葉ではうまく言えないけど、一目見たときから、纏ってる空気が特別に見えた。あれから10年が経とうとしてるけど、その人以上に好きになった人は後にも先にもいない。きっと死ぬまで特別。だけどその人はわたしが何をどう頑張ってもわたしのことを同じように恋愛感情で好きになってくれなかった。今まで努力で叶えられないことは何もなかった。頑張ったら何もかも報われた。そうじゃないことがあるんだって初めて知った。好きな人に同じように好きになってもらうことが、わたしの中で何よりも価値のあるもの(他者からの承認)になった瞬間だった。同時に、自分が自分であることを受け入れられなくなった。わたしがわたしじゃなかったら、あの人はわたしを好きになってくれたかな。相手の好意を手に入れられなかったのに、5年以上も固執した。引きずった。他のものは何も見えなかった。これが多分、自分を好きになれない理由。自己肯定感が根こそぎ失われた原因。当時そんなわたしを見兼ねた友達が合コンに誘ってくれて、結果的にそれがきっかけでわたしはその人の呪縛から少しだけ解放された。それでも、今でも友達として会いたいしわたしのことを理解して欲しいし、あわよくば何かのきっかけで突然わたしを女の子として見てくれないかなって思ってる。ので、完全には解放されていないことの証。ひとりの人間にここまで固執してしまう自分の気持ち悪さに絶望するときもあるんだけど、これはまた別の話しになるのでやめておく。でもここまで書いてて思った。こんなに自分語りしてるし自分のこと考えてるし大事にしてるし、歪んだ形でも自分のことちゃんと好きなんじゃない?って思った。よし、大丈夫だ。生きるぞ。終

いわはしくんありがとう

 

 

 

この前ブログのネタを募集しましたが、まさかこんなかたちでブログのネタが見つかるとは思いもしなかった。

 

 

 

King&Prince岩橋玄樹くんが本日をもってジャニーズ事務所を退所します。

 

 

 

どっかでもう復帰無理かもって思ってたつもりだったけど全然違った。わたしめちゃくちゃ待ってた。めちゃくちゃ会いたかった。もうあえないなんてありえないし無理。っておもった。わかった。岩橋くん退所の文字をみた瞬間何を思うより先にしぬほど涙が出てきたのでわかった。

 


岩橋玄樹くんというひとは人一倍繊細で努力家で優しくて真面目でファンを大事にしてくれて、だれよりもかわいくてかっこいい。

 


岩橋くんを初めて見たのは彼がまだジャニーズJr.だった頃。画面上だったけれど、あまりにも綺麗な顔をしているので一瞬で射抜かれました。このひとだれ!?名前なに??って友達に詰め寄りました。そこで初めて聞いた名前「岩橋玄樹」。顔に似合わない名前だとおもいました。正直に。

 


初めてこの目で岩橋くんを見たのは5年前。忘れもしない秋のこと。10月。梅田芸術劇場。着ていた服さえも鮮明に覚えてる。この日のために買った黒いレースのトップスと赤いロングスカート。

 


1階のいちばん奥の席だったけど、友達に借りた双眼鏡越しにみた岩橋くんは間違いなくこの世のだれよりも輝いてた。ずっとドキドキしてて口から心臓出るかとおもったぐらい。

 


最後客席の通路を歩いて捌けていく岩橋くんはわたしの座ってる席の近くで立ち止まって、笑顔で手を振った。

たぶんわたしの中で完全にスイッチが入ったのはこのとき。冗談抜きで岩橋くんの顔の周りにキラキラが見えた。漫画とかで出てくるやつ。なんなら効果音まで聞こえた。息するのもわすれてた。このまま時間とまれって思った。人生で初めて。

 


「こんなの初めて!!!!!!!!」

 


このえがおまもりたい!!!

このえがおをずっとみていたい!!!

 

 

 

こうしてわたしはいわゆる岩橋担というものになり、雑誌の早売りを漁ったり、インタビュー記事の一言一句に一喜一憂し、Jr.界隈特有のトンチキな現場や突然の発表等々に散々振り回される日々を過ごすようになる。

 


だけどそれも含めて、岩橋くんを応援することは本当に本当に楽しくて幸せでたまらなかった。こんなにも熱中できるものに出会えたから、じゃなくて。岩橋玄樹くんというひとを好きになったから。だから幸せだった。

 


岩橋くんの言葉はファンの心と手をつかんで、見つめて、その数がどんなに増えたって見落とさずつかまえて寄り添って一生離さない。

 


美しさで惹きつけて、言葉で離れられなくする。

 


岩橋くんってそういう人なの。(誰)

 

 

 

だけどその本音は心の奥底にしまってある。

緊張しているのも、うまく話せないのも、泣きそうになってしまうのも、隠せていないことがたくさんあった。それでもそれを必死に隠そうとする姿に胸を打たれる。

どこまでもファンのことを考え、いつでもキラキラの笑顔でいようとする岩橋くんは、どこまでもアイドルだった。

 


目標を聞かれたときには「ファンのみんなを幸せにすること」「ファンのみんなを振り回したくないから将来のことは語らないようにしてる」と言ってくれる。

彼の心の中にあるジャニーズの「岩橋玄樹」は、だれよりも何よりもファンのことをいちばんに考えて心に寄り添ってくれるアイドルだったんだと思う。

 


岩橋くんは、天性と努力のスーパーアイドルでした。

 


そんな岩橋くんを語るのに外せないのがJr.大賞。

前人未到の5連覇を成し遂げました。

長い間プレッシャーに押し潰されそうになりながら、変わらない姿がわたしたちを幸せにし続けてくれた。みんなの心を動かした。

3連覇飾ったあたりからの岩橋担、Prince担の雰囲気か大好きでした。数字は嘘つかねーぞ。うちの子デビューするまで連覇し続けるから覚悟しろよ。(Prince然り岩橋くんが事務所の推されから外れ、思うように活躍できなかった憤り)

 


Myojoをまとめ買いして、極細ボールペンを買って、あのアンケートページに向き合った日々は一生忘れられない()

そしてあの頃、「信じてます」のひとことで自分のプレッシャーをひた隠しにして、わたしたちに弱音を吐かせないでくれた岩橋くん。本当にありがとう。

 


デビュー発表のあの日のことも、一生忘れられない。

雨が降ってた。仕事の休憩中に岩橋くんのデビューを知った。今まで生きてきた中でいちばんうれしくて、いちばん幸せだと思った。

 


やっと。やっと。きっと悔しい思いもたくさんしてきたけれど、すべてこの日のためにあった。ぜんぶ報われた。

 


岩橋くんを応援していたのは、岩橋くんが好きだからで、岩橋くんに幸せでいてほしいからで、岩橋くんに夢を叶えてほしいからで、つまりデビューしてほしいからだった。だからわたしの夢も叶ったことになる。

 


でも、岩橋くんがお休みを発表したのはデビューから約半年後だった。

 


Princeのなかで数えきれないくらい見せていた弾ける笑顔は、デビューしてから一度も見られなかった。岩橋くんを取り巻く環境が、生きづらいものになってた。

 


繊細で、正直で、ひたむきで、まっすぐで、努力家で

自分と向き合いすぎて、がんばりすぎて、折り合いがつけられない。中途半端でいられない。

そんな岩橋くんが生きづらい世界なんてゆるさねえ!って思ったところでどうにもならない。ただ、こと芸能界に関しては顕著に、あまりにも生きづらすぎて。どうにもならないのが歯痒すぎて。

 


でも岩橋くんの幸せが何よりも大切だから、ゆっくり休んで。いつまででもいいから。なんて思っていたし、月日が経つにつれて、もしかしたらもう戻ってこないかもしれないって何度も思って。それならそれでいい。生きてさえいてくれたらいい。また大好きな笑顔を取り戻せていたらどこで何してたっていいって思った。

 


2021年3月29日

仕事が終わり携帯をひらくとラインの通知がとんでもないことになっていた。何度も同じ現場を共にした岩橋担の子たちからだった。「岩橋くんいなくなっちゃう」の文字ですべてを察して血の気が引いた。理解できなかったし、したくなかった。どこかで彼の復帰を諦めていた自分がいるはずだったのに、本当は全然違ったらしい。岩橋くんに会いたくて泣いた。もう会えないなんて信じられなくて泣いた。

 


岩橋くんにとって、デビューってなんだったんだろう。

デビューしたくて、そのためにがんばって、泣いて泣いて、努力して、乗り越えて。そんなこと思うのも嫌だったけど、どうしてもその考えで頭の中がいっぱいになった。

 


数少ない心を開ける仲間、岸くんや神宮寺くんにかこまれて無邪気に楽しそうに笑って、幸せそうで、そんな岩橋くんがいるだけでよかった。ただそれだけでよかったです。岩橋くんが、彼の大好きなひとたちのそばで笑っているのを見られればそれだけでよかった。

 


岩橋くんの最後のメッセージを見て、また苦しかった。

待たせていることがしんどかったって言う岩橋くんは、いまだにずっとファンのことばっかり考えてたから。欲張りなわたしたちに、ずっと応えようとしてくれていた。ありがとう。ほんとうにありがとう。岩橋くんに出会ってからの5年間、ずっとずっと幸せでした。

 


大好きな曲を歌う大好きな岩橋くんの声ももう聞けない。天使みたいな笑顔を振りまく岩橋くんを見ることもできない。愛のこもった素敵な言葉を受け取ることもできない。もう二度と会えないなんて信じられない。

 


今はまだ全部を受け止められない。

少しずつ受け入れていくしかない。

アイドル岩橋玄樹のいない世界を認めるしかない。

 


お休み中もずっとつらかったね。重荷を背負わせてごめんね。待ってるよっていう言葉に応えようとしてくれてありがとう。どんなときも変わらず愛してくれてありがとう。幸せにしてくれてありがとう。わたしの人生を支えてくれてありがとう。数えきれないほどの思い出をくれてありがとう。素敵な景色を見せてくれてありがとう。ほかのどんなものにも代えられない。一生の宝物。

 


こんなにも幸せにしてもらったぶん、今度は岩橋くんが誰よりも幸せになって。自分の幸せのために、自分の笑顔のために生きて。ただそれだけを祈ってます。

 


今日までの11年間、ほんとうにお疲れ様でした。

そしてなにより、ありがとう。

ずっと岩橋くんが大好きです。

 

 

 

2021.03.31

すべての終わりに愛があるなら

 

 


「シン・エヴァンゲリオン劇場版」観てきました。といっても2週間ほど前のお話。

 

なんの話やねん、って感じですがただ書きたいだけです許してください。

 

 

 

 

 

 


実は5ヶ月前はエヴァのエの字も知らない私。今回映画を観るまでに至った流れを順を追って説明すると、

 


鬼滅の刃を観に行ったとき上映前にシンエヴァの特報が流れた。


予告ではなく特報です、あれです。次回予告のBGMをアレンジしたようなあの曲が流れるやつです。あの曲と映像のめっちゃくちゃ暗い感じに惹かれた。

シンジレイアスカが3人でコア化した街を歩くあのワンシーンに異常なほど惹きつけられた。何故か。

 

 

 

 


②なぜ街が真っ赤になっているのか知りたくて質問サイトに投稿した。


一丁前にコア化とか言っちゃってますが、5ヶ月のわたしは何も知らない。何も分からない。ただ何もかも赤く染まった街の鬱々とした重苦しさに妙に惹かれたので、なぜこんなふうに赤くなっているのかだけでも知りたくて某有名質問サイトに投稿してみたところ、なんと。

数人からもらった回答すべて、明確な回答がない。うえに、「多分」「よく分からないけど」「…だと思います」というワードの羅列。中には「エヴァの世界観は…」から始まる長文の回答もあった。

 

え?どういうこと?

回答の節々からエヴァのファンであることは確かなのに。


私はますますエヴァが気になりだした。

だって、観ている人が、ファンが、共通に明確な答えを知らないということだから。

 

 

 

 


③グロいという噂を聞いて、私が耐え得るレベルのものなのかを確かめるため、とりあえず一番グロいと巷で話題の一部だけを視聴する。


旧劇場版「Air/まごころを君に

厳密にはAirのラストシーンになるんですかね。アスカVS量産型エヴァのあのシーン。見ました。


感想としては、気持ち悪かったです。エグいです。


ストーリーの流れも何も分からないのでとりあえず無の状態で見ましたが、確かに気分の良いものではない。だけど目を背けてしまうほどではなかったのでここはクリアしました。

 

 

 

 


④いざ視聴。しかし種類ありすぎて分からない。


???調べてみたはいいものの、どうやらエヴァンゲリオンには◯◯版というものがいくつかあるらしく、何が何だか分からない。YouTubeで丁寧に教えてくれる人がいたので、それに従いアニメ版(新世紀エヴァンゲリオン)→旧劇場版(Air/まごころを君に)→新劇場版(の順番で観ることに。

 

 

 

 

 

 

 


そして調べるうちに知ったこと。

どうやらわたしが観たあの特報「シン・エヴァンゲリオン劇場版」はファンにとって待望の新作らしい。前作から8年経っているらしい。

 


8年………?

我、高校生。

 


そんな、もう、本当に。待望だろうなあ…(?)

とりあえずそんな素晴らしい瞬間に私も立ち合いたい!映画館でシン観たい!!!


となり、特報を初めて観た10月に決意した私は、日々の自由時間ほぼすべてを割いてエヴァを見始めた。

 

 

 

 


アニメ版、そして旧劇場版を見終わった私。

鬱になるかと思った。唖然茫然。ほんとうに。


アニメも途中までは単純な心で楽しめた。

アスカが病むあたりからわたしも病んだ。アスカに感情移入したわけではなく、ストーリーへの理解が追いつかなくて病んだ。何が理解できていないのかすら分からなくなったので手の施しようがなかった。


極め付けに25話と26話。なにひとつ分からなかった。明確に覚えているのは「おめでとう」くらい。


でもどうやら、観た人のほとんどが同じだったらしいので安心した。


そして旧劇場版に縋った。

きっとこれで私はエヴァを理解できるはず!と思った。

 

 

 


………分からんかった。


グロ耐性を確かめるために観たアスカVS量産型のシーンが来たとき、あー例のやつだ!とはなった。一応。


でも。


量産型に対してアスカが「完成していたの…?」というシーンや「ロンギヌスの槍!?」と言って驚くシーンなどなど。

その場面の理解度が、エヴァを何も知らないまま観たあの時と全く同じだった。笑っちゃうレベルで意味不明。


あれ、おかしいな。私アニメ版全部みたよな?飛ばしてないよな?とリアルに心配になった。

どっか飛ばしちゃってなきゃ説明つかないよ。それぐらい訳分からんことが起こってるのに視聴者が全部知ってる体で話が進んでる………。というパニック。


極め付けは人類補完計画発動シーン。

愉快で明るいBGMに組み合わせるにはあまりにも異質なシーンの数々。


量産型の顔が綾波になって、そいつらがロンギヌスの槍らしきものを自分のコアにぶっ刺してるシーンからその前後にかけて、本当に気持ち悪かった。リアルに吐きそうになった。


画が気持ち悪いというわけではなく、何もかもが意味不明すぎて気持ち悪かった。

人生でこんな経験をしたのは初めてだった。

自分自身が病んでるときに観なくてよかった、と心から思った。


正直、エヴァを観たことを若干後悔し始めていた。


いやでも!!!まだ!まだ残ってる!!!

新劇場版は大丈夫かもしれない!!!

エヴァVS使徒の戦闘シーンはかっこよくて大好きだし!シンジくん好きだし!大丈夫!今度こそ。と思った。

 

 

 


新劇場版「序」「破」「Q」一気見した。


アニメ版が記憶に新しいので、序は大まかなストーリーは変わらないなあと思い終了。破はアニメ版と比較するといろいろ変化があった。しんどいところもあったけどラストはすごく胸を打つ展開だった。シンジくんがあまりにもかっこよかったので驚いた。感涙に咽ぶ思いだった。

 

 

そして「Q」


いや、分かってた。

そもそもエヴァを見始める前にいろいろと調べたときに分かってはいた。どうやらQは難解らしいと。

分かってはいたものの、その難解さは想像を超えた。難解というか、難解にいたるまでになれない。(?)


そもそも、破のラストに流れたQの予告のシーンが一瞬もなかった。え、こんなことあるの???という心の声。


何が何だか分からない状況がずっと続いていた。

アニメ版と同じく、カヲルくんの言ってることが1ミリも理解できない。そんな気持ちをシンジが代弁してくれた。


「何を言ってるの、カヲルくん!!!」

 

そうしてカヲルくんはDSSチョーカーによりお亡くなりになるのですが、ここは普通にしんどかったです。何もかも変わってしまった絶望的な状況下で出会い、シンジくんが心を取り戻すきっかけになったカヲルくんが。目の前で死んでいく。声優さんの素晴らしさを感じて鳥肌と涙でした。


だけど。

いや、いいんだけど。


結局ちんぷんかんぷんなんですね。

大まかに理解できているかすら分からない。

分かっているのかどうかが分からない。そんな状況。


私は某質問サイトに投稿した自分の質問、それに対する回答をもう一度読み返した。


………なるほど。そりゃそうだ。

 

 

 


時が流れていくうちに予告(主題歌)がUPされる。

自分でもびっくり、異常なくらい毎日再生した。

エヴァが面白かったか、気に入ったかと聞かれると即答しづらいレベルなのに。

そもそも主題歌が神がかっている。そして予告映像とのマッチ具合、そこから感じられる雰囲気がたまらなく好きで、取り憑かれたように再生していました。


ああこれは、わたし、やっぱり映画館へ行くべきだ。

 

 

 

 

 

そして現在。シンを観終わった私。


エヴァが大好きになりました。


とにかく映像がずっっっと綺麗で、綺麗すぎて、2時間半ずっと鳥肌たってました。リアルに。


ネタバレせずに感想を書くのってすごく難しいんですが、本当に胸を打たれるシーンがたくさんあって、何度も何度もハンカチで目元を拭う始末。


頭の中も胸もいっぱい、とにかく感情過多でどこ向かってどうやってアウトプットしたらいいのか分からない。そんな心境。


半年前にエヴァに出会った私ですらこうなんだから、

アニメ版からのファン、シンエヴァの公開を長年待っていたファンの人たちはどれほどの感情を与えられたんでしょうか。想像するだけで身震い。

 

 

ここまで言っておいてアレですが、これまた映画の内容きっちり理解できてないんですね。

既にいろんな考察動画を漁ったりしていますが、その考察すら難解で頭に入りません。

 

 

 

ん?なにこのシーン。

えっちょっと待ってもう1回言って?

まってこれなに?

え?結局どうなったの?

 


上映中何度も思いました。

 

 

 

でももう1回観に行きたい。かならず。

その前に序破Qを振り返っとこうかな。

いやでもアニメと旧劇もみたほうがいいな絶対。ってシーンたくさんあったな。

 

 

 

 


エヴァ最高!!!!!なんだよなあ………

 

 

 

 


踏み出してよかった。

エヴァを観るという選択をしてよかった。

もっとはやく出会いたかった。

 


これを読んでいるのはどんな人なのか、

そもそも誰一人読んでいないかもしれないけれど、

 


私はこれからもずっとエヴァを愛することをここに誓います。

 


きっと一生かかっても「ん???」ってなってるかもしれない。でもそうしたい。そうやって自分なりにいろんなことを考えたい。いろんな人の考え方を知りたい。

 


すばらしい。

 


こんなにもすばらしい作品が生きているこの世はすばらしいです。

 


ありがとう。エヴァンゲリオン

さようなら。すべてのエヴァンゲリオン

 


さようならはまた会うためのおまじないです。

パラレルワールド

 

 

 

補完=足りないものを補うこと。

 

 

 

全ての問題の原因は私が欲張りなことだ。

と痛感する日々です。

 

私の好きな東京喰種という漫画のなかで「この世の不利益はすべて当人の能力不足」という言葉がありますが、

 

(金木くんが言うから許されてるよね。)

 

じゃなくて。

この言葉って鬱ってるときに思い出すと自己嫌悪が募って心が天に召されるのです。

それでも不思議と、出会えてよかった言葉リストに挙げられます。

 

 

 

私が鬱ってるときは、最終手段としてパラレルワールドが存在するという説に縋ります。

 

「私」が生きている世界線はいくつもあるという概念です。

 

今この文章を書いている私の精神が宿っている「私」が大きな壁にぶつかり、挫けて、心も体もボロボロになったとします。

 

でも、もうひとつ隣の世界線を生きている「私A」は、きっと幸福に満ちた人生を常に歩んでいる。「私」が憧れた世界線に生きている。

 

この考え方、救済率100%です。

 

「私A」は「私」とは別の個体なんじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、まあたしかに。それもそうですね。(?)

 

 

 

 

ずっと見てる夢は

私がもうひとりいて

やりたいこと好きなように

自由にできる夢

 

(365日の紙飛行機)

 

 

 

私がパラレルワールド概念を力説した友人が教えてくれた曲です。(知名度高い曲だけどそれまで知らなかった)

 

あと今年に入って読んだ小説

「僕を愛したすべての君へ」

「君を愛したひとりの僕へ」

これが、まさに。という印象でした。

よかった。とてもよかった。(語彙力)

 

ほぼ無限に存在するパラレルワールドの自分に、「私」の夢を託す。

 

世の中には自分の影響ではどうにもできないことがたくさんある。そうやって割り切れたら簡単だけど、私にはすごく難しい。

そんな時はそうやって託すしかない。

 

こういう考え方を邪険に思う人ってすごくたくさんいるんだろうなあとも思いますが。

 

 

 

急にブログ書きましたが。

完全に思いつきです。

ブログは自分用のライブレポくらいしかまともに書いたことなかったので。

 

おやすみ。