自分を好きになるって難しい。でも自分のことを好きになりたいと思ってる時点で、自分のことを大事にはできてるんだよね。最後に自分を褒めたのっていつだろう。字が綺麗に書けたとき。仕事が速くこなせたとき。早起きできたとき。衝動買いを我慢したとき。些細なことでも思い返せばたくさんある。それでも自分を好きになれない理由ってなんだろうと真剣に考えてみた。他者承認欲求を満たすことでしか自己承認欲求が満たされないから。っていう答えっぽいものが出てきた。つまり、他者からの承認が自分を満たしてくれるということ。「字が綺麗に書けた!」ではなく、「上司に褒められた!」という承認が欲しいということ。あれ?でも、誰かに褒められたり認めてもらえたりしたことあるけど、「わたしはそんなふうに言われるような人間じゃないのに」って思ったことあるな。。。誰かに褒められても、誰かに認められても、その言葉を素直に受け取れないのは、自分が「誰かに責められるべき人間」だと思ってるからかな。「この人がいまわたしのこと責めてくれたら、わたしは自分で自分を慰めて守ってあげられるのに」と思ったことがある。つまり、その人は確実に悪いことをしたわたしを責めなかったので、わたしは自分で自分を責めた。ということ。でもそのとき思ったよね。あれ?わたし常に誰かに責められたいのかな。責められなきゃいけないと思ってるのかな。なんでだろ。自分が嫌いだから?いつからこんなふうになったんだろう。何がわたしをこんなふうにしたんだろう。思い返すと、多分あれだなって思うものがある。真面目に生きてきたのがこんなにも意味のないことってあるんだ、って思った。生まれ変わりでもしなきゃどうにもならないと思った。その人のどこが好きだったか聞かれると言葉ではうまく言えないけど、一目見たときから、纏ってる空気が特別に見えた。あれから10年が経とうとしてるけど、その人以上に好きになった人は後にも先にもいない。きっと死ぬまで特別。だけどその人はわたしが何をどう頑張ってもわたしのことを同じように恋愛感情で好きになってくれなかった。今まで努力で叶えられないことは何もなかった。頑張ったら何もかも報われた。そうじゃないことがあるんだって初めて知った。好きな人に同じように好きになってもらうことが、わたしの中で何よりも価値のあるもの(他者からの承認)になった瞬間だった。同時に、自分が自分であることを受け入れられなくなった。わたしがわたしじゃなかったら、あの人はわたしを好きになってくれたかな。相手の好意を手に入れられなかったのに、5年以上も固執した。引きずった。他のものは何も見えなかった。これが多分、自分を好きになれない理由。自己肯定感が根こそぎ失われた原因。当時そんなわたしを見兼ねた友達が合コンに誘ってくれて、結果的にそれがきっかけでわたしはその人の呪縛から少しだけ解放された。それでも、今でも友達として会いたいしわたしのことを理解して欲しいし、あわよくば何かのきっかけで突然わたしを女の子として見てくれないかなって思ってる。ので、完全には解放されていないことの証。ひとりの人間にここまで固執してしまう自分の気持ち悪さに絶望するときもあるんだけど、これはまた別の話しになるのでやめておく。でもここまで書いてて思った。こんなに自分語りしてるし自分のこと考えてるし大事にしてるし、歪んだ形でも自分のことちゃんと好きなんじゃない?って思った。よし、大丈夫だ。生きるぞ。終